黒船 – いにしえの日米交渉に思う

トランプ関税の件で赤沢大臣が二回目の渡米、鋭意交渉してきましたが、「車、鉄、アルミ」など日本国の国益に関わる関税は協議外だと突っぱねられ、予想通り厳しい交渉となっています。

海事の仕事で船舶を扱っていると、船舶が座礁せずに海域を航行し、あるいは港湾に入れるかということは常に気になるところです 。

「堺事件」 – 1868年2月15日(旧暦)に起きた、港に小舟で入り測量したり上陸した丸腰のフランス兵水兵に対し、警備中の土佐兵が発砲して11人が死亡し、フランス当局が下手人の斬首や賠償金などを強硬に求めた事件。明治新政府は藩兵20人への切腹命令を出し、堺市の妙国寺でこれを行い、立ち会ったフランス軍人があまりの凄惨さにフランス兵同数の11人で中止を求めたと伝えられる(日経夕刊4月19日に中山義秀著「土佐兵の勇敢な話」書籍紹介)。

弊職がこの記事を読んだとき、船舶のドラフト(喫水。船底から水面までの距離)のことを考えていました。ご存じかと思いますが、開国を迫る米国ペリー提督が最初に来航して江戸湾に近づいたとき、まずは海域の深度を測量しています。何故それをするのか。江戸湾をどこまで艦隊が侵入でき江戸の中枢に迫れるか、江戸城、江戸市中への艦砲射程距離を測っているということです。日経夕刊の書籍紹介では「丸腰のフランス兵への発砲」という表現で、ここだけ読むと土佐藩士の行動がとても野蛮に見えますが、外国船による港湾水深の無断測量というのは、当時、国防上の重大問題に関わっていたということを見逃せません。事実、フランス海軍は「宣教師解放」をヴェトナム阮朝に要求し、堺事件に先行する1847年3月23日、砲54門「グロワーズ」艦、同24門「ヴィクトリューズ」艦でダナン港に停泊していたヴェトナム艦隊をいきなり奇襲、4月15日の艦砲射撃でヴェトナム軍艦5隻を全て撃沈、ヴェトナム側死者40数人、負傷者90数人、行方不明100人余、フランス側死者1人、負傷者1人。実のところ宣教師は数日前に既に解放されていたにもかかわらず、の問答無用の砲撃だったのです。以降、フランスによるヴェトナム侵略、植民地化が進められていきました(小倉貞男著「物語ヴェトナムの歴史」中公新書)。

ヴェトナムでのフランス海軍の所業に鑑みれば、「堺事件」でのフランス兵の測量行為が何を意味したのかお判りでしょう。同時に、江戸幕府交渉団が、決裂すればペリー艦隊による江戸への艦砲射撃ありうべしの緊迫した状況下で周到に江戸湾深部への黒船侵入を阻止しつつ粘り強い交渉を平和裏に収めたことが、どれほど卓越した見識によるものだったかも、感じるところです。

…. いにしえの日米交渉は厳しく、そして今また厳しい。カナダ、オーストラリア、EUの動向など今般の対米交渉には様々な動きが並行しています。踏まえながら、赤沢大臣には引き続き、是非頑張っていただきたいと思うところです。

(2025年5月6日記)

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